葛原邸と神辺城址
先ず葛原邸です。
ぎん銀ぎらぎら夕日が沈む
ぎんぎんぎらぎら日が沈む
まっかっかっか空の雲
みんなのお顔もまっかっか
ぎんぎんぎらぎら日が沈む♪
この歌はあまりにも有名ですよね。その葛原先生の生家が神辺に有るのです。
昔の塀も少し残ってました。
上の句は左が一茶の句で ”うつくしや若竹の子のいついつと ”
右が渡辺水色の句 ” 紫陽花や白より出でし浅みどり ”
神辺城址からの写真。
町の中心を流れている高屋川の川沿いに発展した宿場町、備後平野ともいい豊かな穀倉地帯で昔は見渡す限りの田圃でした。今回訪れた神辺城址は「道上の城」とも呼ばれ(南北戦争争乱)で戦功をあげた朝山景連が備後国守護職に任じられ1335年に築城されたと伝えられる古い城で草の生い茂った小高い山の上に有りました。
お城への道に紫陽花が沢山、咲いてました。
少し時期が早かったようです。
頂上の城址から。中央に見える小さな山が片山です。
江戸時代末期、寄生虫によって引き起こされる病気で死に至る怖い病気とされ住民を恐怖に落としいれたものです。片山の周辺で起きた事は今もって人々に伝えられています。お城のお話の資料が少なく上手く説明が出来ません。今回はこれでお終い。次回は堂々川の事を少しUPしたいです。