歴史と文化の町、神辺町を歩く。

uduki-2492007-06-13

県内でも有数の遺跡密集地(亀山遺跡、大宮遺跡、御領遺跡)を見に行きました。御領在住の友人Uさん宅に2泊して歩きましたが2日では到底、見きれません。

先ず廉塾・菅茶山旧宅へ行きました。三日市通りから角辻を左に折れすぐ右に折れると七日市通り。通りに面して茶山が野菜を作っていた広い畑がある。その一角には鯉や鮒を飼っていた池跡もあり、遠来の客を自作の食材と自家の酒でもてなして居た。神辺で酒造と農業を営む家の長男として生まれたが、19歳で京都に上り、朱子学を学んだ。神辺に黄葉夕陽村舎(こうようせきよう)をひらき青少年の教育に励んだ。1972年、福山藩の郷校となり廉塾と改名。各地からの塾生がつねに20名くらい居り、頼山陽も学び、塾頭もつとめた。1780年ごろ建てられた三間続きの講堂と寮、住居が当時のまま残されている。文部省特別史跡
今日の一枚は廉塾の入り口に咲いていた紫陽花です。

      茶山邸の門
      
      茶山邸の畑、現在も畑が作られています。
      
      廉塾
      
      庭に続く竹林
      
 左から廉塾、菅茶山旧宅の碑。邸内を流れる小川。水を堰止める装置。この水で筆を洗ったり生活用水に使ってたらしい。


      庭内の古い楠の木
      
      塾の竹と木を組み合わせた縁側は茶山のデザイン。素晴らしいアート感覚だが塾生のお仕置きに座らせて居たらしい。竹板なのでじわっと足が痛くなるので堪えるらしい。
      
丸と四角にくり抜いた手水鉢。人間も度量次第で水のように丸くも角にもなると茶山は風流に教えた。
      
茶山が鯉や鮒を飼っていた池で4m四方の小さな池。
      
茶山邸を出た通りに面して茶山饅頭の老舗が有る。甘さを抑えた茶山饅頭は地元町民の間では根強い人気がある。
  

     

我が家のルーツに寺子屋をして居たと言われる人が居ます。茶山とは友達で有ったそうで230年ぶりにルーツに巡り会えたように感動しました。
神辺町(かんなべちょう)は岡山県井原市に隣接した町で最近、福山市と合併した大きな平野ですが今では賑やかな町と化して昔日の面影は有りません。
下ちゃんのイラスト